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テロワール主義 [農村だより]

 11月15日月曜日午前

 私がかねてから主張している「テロワールが語れる日本酒をつくる」ということについて。

 ワインの世界には、「テロワール主義」に対する「セパージュ主義」という概念があります
 
 が、それを日本酒の世界に照らして見てみると、なかなか興味深い景色が見えてきます。

 私たちが根知谷でやっていることは、「テロワール主義」の考え方ですが、もともとその土

 地で育種された酒米の品種を栽培している、即ちその土地に最適な品種を栽培している、

 という意味では、「セパージュ主義」であるとも言えます。

 「五百万石」も「越淡麗」も、新潟県が独自に育種して品種登録した酒造好適米です。他

 県でも広く栽培されている五百万石は、新潟県のオリジナルであるという認識が薄いか

 もしれませんが、これは「ボルドー」における「カベルネ・ソーヴィニョン」と同じであると、海外

 の関係者からは指摘されます。

 「越淡麗」は、特許の関係でしょうか、他県には栽培ができないようになっていて、正に新

 潟県のオリジナル品種です。その酒造特性は徐々にマーケットに伝わるものと思いますが、

 平成18年に奨励品種になったばかりですので、向こう10年くらいの時間は必要でしょう。

 日本酒の世界では、米作りから酒蔵のある場所で、醸造家自らが酒造好適米の栽培を手

 がける形態は、戦後絶えて久しくなりました。農地解放が引き金となり、食糧管理法が壁

 となって、米は生産から流通まで「農協」が独占する時代が長く続きました。独占禁止法に

 抵触するはずですが、「全集連」なる抜け道を作って来たのです。

 そんな仕組みの中で、酒造業界も技術革新の時代に突入し、量産と品質向上の二兎を追

 いかけて、「醸造」に専念することになりました。「米」は「原料」に過ぎないという意識が無

 意識のうちに定着しました。

 酒蔵では、仕込みに使う米を「仕入れる」ことが当たり前になったのです。

 これでは「テロワール主義」も何もありません。

 「セパージュ主義」でもないですね。大体から米作りをしていないんですから。

 「産地(気候風土)」にこだわるわけでもなく、「品種」にこだわるわけでもなく・・・・・。

 じゃあ、何にこだわっているのか。

 「醸造技術」であり、「醸造技能」であり、それを根拠にした「品質・酒質」です。

 要は、工場の中だけの世界、自分たちがどうにでもできる領域での話です。

 日本酒業界の競争は、こうした構造・レギュレーションの中で繰り広げられてきました。

 しかし、消費者はもうそんな甘い「身内の論理」による競争では飽き足らなくなりました。

 もっと厳しい、もっと不安定な、もっと興味深い競争条件のもとで、日本酒を楽しみたい、

 と無意識に思い始めたのです。

 それに気付かない日本酒業界は、消費者の欲求を満たす条件を整えた「焼酎」や「ワ

 イン」の後塵を拝することになりました。

 いくら製造技術が優れていても、製品のクウォリティーは、農産物を原料とする以上、

 気候風土、作物そのものの持つ性質に左右されて当然なのです。そのことに酒造技術

 にかかわる人たちが気付かないわけがないのですが、彼らの言い分はこうです。

 「多少米のできが悪くても、我々の技術でいつも通りのいいお酒をつくれます」と。

 傲慢な言い方ですね。自分の腕で何とかしてやる、なんて。

 随分飛躍した内容になりましたが、「テロワール主義」 「セパージュ主義」という概念は

 日本酒を捉えなおす格好の脳トレになります。
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