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農家の悲鳴が届かない [農村だより]

9月24日金曜日午前

 全国紙に少し掲載されましたが、今、米農家は本当の意味で窮地に立たされています。新米の出荷が8月末から始まっていますが、その出荷価格が低すぎて、とても採算ベースに乗りません。戸別所得補償があるから少しは救いもあろうかと思われる方も、現実を知らない楽観主義者に過ぎません。

 需給関係から見れば、昨年産の古米が在庫としてあるために、新米価格が低迷する仕組みですから、それは経済の原則からすると、ある意味で当然の動きです。

 しかし、問題の本質は、経済の原則どおりに市場が動くと、生産サイドが潰れてしまう、という構造にあります。米農家には需給による価格変動に耐えるだけの資本力・財務力が全くありません。生産者の大多数が零細農家であり、家族労働で支えられていますので、資本の集約が不可能な構造なのです。

 辛うじてここまで米の生産ができてきたのは、政府が様々なカタチで補助金を出したり、価格維持の支援をしてきたからです。それもいよいよ限界に近づいているようです。米農家の高齢化と後継者不在の状況は、このような厳しい取引き環境では、一層「離農」や「耕作放棄」を進める結果となるでしょう。赤字経営の会社が10年20年と続くわけがないのです。当たり前のことですね。米農家は実質的に延々と赤字経営を続けてきたのですから。

 もう限界です。恐らく日本の米作り農業が崩壊する時期は早まるでしょう。経済に強いという学者や政治家、評論家などの皆さんにお聞きしたいものです。輸入すれば事足りると言うのでしょうが、そんな簡単な問題ではないし、調整に要する時間もわかっていなのではないか。

 農業の現場を知らない、頭だけいい人種は、実は無力であって、国民に塗炭の苦しみを強いることになるのです。第二次世界大戦の敗戦を見ればイヤというほどわかります。米作り農業が破綻するということは、農業関連経済が破綻するということで、それは農村部の地域社会の破綻を意味します。

 地域社会・経済が壊死していく状況というのは、人体に例えると、手足が壊死することですから、都市部を頭部・胴体に例えるならば、正常な身体とは言えなくなるのです。自らの手足が腐っていく状態を、見てみぬフリをする感覚が私には理解できません。

 日本の国民みんなが想像力が乏しくなったのか、確実に見える近未来の姿が見えないようです。何れにしても離農、耕作放棄は今まで以上に急速に進みます。

 
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