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田植え前の仕事 [根知だより2015]

5月9日(土)午後

 あっという間にゴールデン・ウィークも終わりました。お蔭様で今日、蔵内の火入れ作業が終了し、2014年産のお酒が蔵に納まりました。田植えを間近に控えての酒造終了という、何とも忙しい酒蔵ですが、こんな風になってみると、つくづくいいもんだなあと思います。
 4月13日と15日の暴風で育苗ハウス2棟が潰されるアクシデントがありました。自社栽培13年目にして初めての経験です。グシャグシャになったハウスの片づけ作業は、組み立て以上に疲れます。修復不能なので、露地育苗に切り替えです。
 何だかんだでスタッフも大変ですが、自分たちで米作りからしているので、ある意味で不安感はありません。酒造りに必要な米と水、そして人材と設備、全部そろっています。外部から調達する資材はありますが、主要なものは自前です。
 根知谷では田植えが始まりました。弊社では15日から始まる予定ですが、私は専ら田んぼ回りの草刈りをしています。毎日毎日時間の許す限り草刈りをしていますが、広い根知谷の圃場にはほとんど人の姿が見えません。今年も多くの農家がやめました。高齢ゆえの離農です。あの湧き立つような活気にあふれた春の喧騒はありません。うちは長男が入社して、田んぼに出る若者は増えたけど・・・・。
 ひとつ文章を紹介します。山下祐介著 「地方消滅の罠」 ちくま新書
 P.152
 またその際の「自立」についての発想も問題を孕んでいるようだ。もしかすると私たちは、お金を持っている人たちが経済的に自立した人たちだと勘違いしてはいないだろうか。マネー投資家や高額貯蓄者は自立しているのだろうか。果たして彼らはこの国の存立に協力し、生産し貢献しているのか。少なくともお金を持っているのだから、どんなときも国の迷惑にならないと見る人もいるかもしれない。だが、これだけ世界は揺れ動き、天変地異が続いているのだ。お金の価値など、本当にいざというときに頼りになるものではない。
 経済的に自立している人とは、たとえ天地がひっくり返っても自分の才覚で生産し社会に貢献できる人だ。農業者や漁業者はむろん、一次二次産業に携わる人はみなその資格を備えている。そして商売をし、ものを運んで生計を立てている人々も。料理人や理容師や、看護師や介護士など、サービス業に関わる人は、こうした自立した人々がいて初めて暮らしが成り立つ。そして筆者のように情報や科学に携わるものは、さらに多くの人々の関係の上に初めて暮らすことができるのである。
 だがどうも、こうした当たり前の思考が、私たちのうちから、この数十年ですっかり失われてしまったようだ。どこかで金さえあれば何とかなると思い、金がないから不安だと思いはじめている。だが私たちはかなり深くつながりあっていて、互いに助け合っている。だからこそ、この日本という社会は健全に機能しているのである。金融破綻は確かに恐いが、それは海外との関係においてであって、国内の協力関係さえしっかりしていれば、私たちはもはや不安に思う必要はない。それほどの生産性を保ち、また互いに強く支えあう関係をつくっているのだ。だがその地道な生産や、生産する人々とのつながりがいまや実感できずに、目に見える金や経済のほうがリアルなものに感じられてしまうようだ。
 そして近年、私たちはこの確かな絆の連関を、経済効率のために崩しすぎてもきたようだ。私たちはそれを何らかの形で取り戻す必要がある。しかもなお日本という社会ではお互いに強い信頼は抱いていて、社会参加への高い志をもつ人は大勢いる。この社会にリアルに参加する、そうした国民認識を再構築できるかが、転換期を乗り切るための大きなカギになる。
 
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